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栃木県(餃子県)

栃木県は、下野一国からなっています。栃木県と宇都宮県とが合併したとき、県庁は日光街道の宿場町だった栃木市に置かれたのですが、10年ほどののち宇都宮に移されました。県名が栃木であるのは栃木市に県庁があった時代の名残です。

 

宇都宮市は八幡太郎義家の奥州遠征に従った藤原宗円とその子孫の宇都宮氏が、秀吉によって追われるまで500年余り支配していました。その後は藩主の交替が相次ぎ江戸時代だけで11回のお国替があったほど。「日光を見て死ね」とまでいわれながら、徳川家康を祀る日光東照宮が好きだなどというと悪趣味の権化くらいに思われかねません。

 

豪華な陽明門に代表される装飾と色彩の過剰は桂離宮などに代表される自然の感触をいかした「日本的な美意識」からはずれたものだと考えられています。ところが、桂離宮が評価されるようになったのは昭和のはじめにドイツ人のブルーノ・タウトが激賞してからで、むしろ、それまでの日本人は東照宮のほうを評価していたそうです。

 

十八世紀あたりからドイツを中心に廃墟の美みたいなものが追求され、真っ白なギリシャ彫刻や遺跡が最高の美の基準とされるようになりました。ところが、よく調べるとミロのビーナスでもアテネのパルテノン神殿でももともとは極彩色に塗られていたのです。そのため、栃木の人は胸を張って日光東照宮の美しさを誇ってよいはずなのです。

 

栃木県は東武鉄道王国ですが、東武グループが経営する「東武ワールドスクウエア」はなかなかみごたえのあるテーマパーク。世界の有名建築を25分の1に再現した趣向は年齢層を超えて楽しめます。ただ、周囲に山が迫るのでせっかく写真をとっても現地に行ったようには撮れないのが残念なところ。

 

県西北部の足尾鉱山の出す鉱毒は渡良瀬川周辺を広く汚染し、日本で最初の大公害問題となりました。代議士でありながら明治天皇に直訴するなど、これと闘った田中正造氏は栃木の誇る偉人です。

 

東北部の那須高原はご用邸があるなど保養地として知られ首都機能移転でも候補地として積極的に運動。足利は八幡太郎義家の孫義康がこの地に拠ったことから足利氏を名乗るようになりました。中世有数の教育施設である足利学校も知られ、北関東の小京都として知られています。

 

栃木県の産物というと、カンピョウやイチゴは有名ですが、郷土料理というもので有名なものはあまりありません。その中で、宇都宮では餃子の消費量日本一ということをアピールしていますが、最近では浜松に抜かれるなど全国的にご当地餃子が出てきたことで少し影が薄くなりつつあります。

 

栃木県には塩原や鬼怒川など県内には温泉も多く存在。政治家の渡辺美智雄氏はあえて栃木弁を売り物にして庶民性を強調しました。時代劇でも田舎の庶民の言葉ということになると、舞台がよその地域であっても北関東の方言でしゃべらせてしまうのだそうです。

 

どの藩のお侍も標準語で話しているのですから、江戸の人から見て田舎の言葉である北関東の言葉でしゃべるのが自然というが、本当のところはどんなものなのでしょうか。